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  今宵その夜 2007年5月21日(月)  
  2年程前までよく店に来てくれていた江木さん(仮名)が亡くなった。
病気をされてからは店に飲みに来られることもなくなったが、最近仕事に復帰されたと聞いて安心していた矢先だったので残念だ。

その夜はカウンターに江木さんが好きだったボンベイサファイヤを置いて追悼する。
カウンターの真ん中の席。
70‘ロックが好きだった江木さんはスピーカーの中央に位置するその席にいつも座った。
江木さんが好きだった音楽をかける。
まずはニール・ヤングの「オン・ザ・ビーチ」。
ニール・ヤングの中では一番好きな曲だと言っておられた。
ニール・ヤングの最新作「グリーン・デイル」。
このアルバムの曲を全曲演奏した数年前の来日コンサートを観に行って、いかに感動したかを聞かされたなあ。
レッド・ツェッペリンの「天国への階段」。
夜中の3時頃、他に誰もお客さんがいない時、大音響でこの曲をかけたことがある。
江木さんは陶酔してエアギターを弾いていた。
その他ジャニス・ジョプリン、スティーブ・ミラーなどをかける。
ジャクソン・ブラウンはCD持ってないのでかけられなかった、すいません江木さん。
ジョン・レノンは好きだったっけかなあ・・・?
とりあえず「イマジン」でも。
最後に、ニール・ヤングが、死んだクレージーホースのギタリストに捧げて作った「今宵その夜」。
今日は僕から江木さんにこの曲を捧げます。
 
     
  人生劇場 2007年2月24日(土)  
  人生というのは何がどう転んでどう展開するか全くわからないものだ。
僕の場合も、若い頃に目指していた道からはまったく外れてサラリーマンになったかと思えば、今やバーなんてことをやっている。
先日、4年ぶりにやってきたお客さんもそんな口だ。
当時はまだ長屋もオープンしたてで毎日ヒマだったので、お客さんと会話した内容もよく覚えていたりする。
その彼は20代の中頃で飲食店で朝から夜中まで働いていた。
将来は独立して自分の店を持ちたいと考えているが、具体的なヴィジョンが描けず悩んでいるんです、と話していた。
それで脱サラして自分の店を持った僕にいろいろと相談をしてきたりした。
そこで僕はこう助言した。
「自分の店を持つのが夢なら、一度飲食とはまったく関係のない仕事をしてみたら?飲食以外のいろんな経験や、いろんな人達との出会いが新しい発想力の源となって、いずれ料理とか飲食店経営に生きてくると思うよ」
それ以来彼はぷっつり来なくなったが、先日4年ぶりにひょっこりやってきた。
話を聞いてみると、彼はあの後、当時働いていた店を辞めてインドへ放浪の旅に出たそうだ。
そしてインドでのいろんな体験から新たな道を見出し、今は故郷の九州で福祉関係の仕事をしているのだそうだ。
今回、友達の結婚式で久々に大阪に来たところ、ふと思い出して長屋に立ち寄ったとのこと。
彼は2度と飲食の世界には戻らないかもしれないが、若い頃の飲食店での修行経験が今後の彼の人生の中で大きく生きてくるはずだ。
 
     
  記憶変換 2007年1月21日(日)  
  携帯電話の「やゆよ」が打てなくなった。
しばらくは「やゆよ」なしで何とか文章をひねりだしてメールをしていたが、いつまでもそんなこともしていられず、ヨドバシカメラへ買い替えに行く。
いろんな機種があって何が何だかサッパリわからないが、とにかくシンプルで機能が少ないのを探す。
僕の場合、機種選びのポイントはひとつだけだった。
それは変換方式が「記憶変換」でないこと。
僕が今使っている携帯は、「あ」と打つと「安心」「案内」「あした」「あるから」・・・の順で出てきて、ひらがなの「あ」が102番目、「亜」が103番目に出てくる。
「い」と打つと、「行ってる」「いますか」「いきます」などが延々続いた後、92番目に「い」が出て107番目に「胃」が出る。
これでは「胃がいたいよー」と友達にメールするときに、「胃」を出すのにすごい時間がかかり、その精神的疲労のせいでさらに胃が痛くなってしまう。
ちなみに「わ」と打つといきなり\(^-^)/ こんなんが出てきて、絵文字なんか使ったことがないのになぜなんだ?
実に不便であることこの上ない。
だから今日はドコモの店員さんに、
「『あ』と打ったら『あ』と出る機種ください」
言うと、
「今はほとんどの機種が記憶変換になっております。」
との答え。
ええい、それなら番号そのままauに変えてやる!とauに行くとそこでも同じ答え。
記憶変換ってそんなに便利なのか?
記憶変換が不便に思える自分は遅れているのか?
結局、買わずに帰ってきた。
しばらくは「やゆよ」なしで太田胃散。
 
     
  新年おめでとうございます 2007年1月5月(金)  
  正月休みが終わって今日から営業だ。
そして体調がとってもよい。
年末から昨日まで毎日のように飲んだくれていた割にこんなに体調がよいのは、ひとえに規則正しい生活のたまものであるに違いない。
朝起きて昼間は遊んだり仕事したりして、夜はうまいもん食って酒を飲み寝る。
こういう規則正しい普通の生活をしていれば、多少暴飲暴食をしてもどうってことないみたいだ。
今日も朝の7時半に起きてメシ屋24でトン汁定食を食べ長屋でひと仕事していると、昼頃にはもうお腹がすいてきた。
夜中仕事をしてると、どうしても寝る前に食べたり飲んだりしてしまうので、慢性胃腸疾患状態に陥ってしまい、空腹というものを感じることがなくなってしまう。
やっぱりお日様に見守られて仕事をし、星空の毛布をかぶって寝る生活が体にはいいのだ。
そんなことを思いながら、今夜からまた夜の生活へ突入だ。
当分はこんなふうに頑張っていくしかないのねー。
さて今年は前々からの懸案事項であった長屋2階の改装に着手する決心を固めている。
そして長屋バーは5月で5周年。
5年の節目に新たなチャレンジです!
 
     
  さて、忘年会です。 2006年11月30月(木)  
  ついこの間、長屋の夏イベント「バーベキュー大会」をしたと思ったら、今週末はもう長屋忘年会だ。
ほんとに月日のたつのが早い。
大阪の夏が異様に暑く長くなってきているので、秋という季節がほとんどなくなった感じがするのも、その原因のひとつかもしれない。

年を重ねるほどに月日のたつのが早く感じるようになったのは僕だけではないだろう。
以前、こんな話を聞いたことがある。
年をとるほど1年が早く感じるのは、人は自分がこれまで生きてきた年数を基準にして1年の長さを感じるからだそうだ。
例えば、10歳の子供なら、今まで生きて来た人生の1/10が1年だ。
40歳の人なら1/40。
つまり自分の人生の中に占める1年間の割合が、年をとるほどに少なくなってきて、それが1年を早く感じる原因となる。

なるほど、そう言われればそうかもしれない。
だとすると、僕は今40代前半で、仮に平均寿命くらいまで生きるとしたら、今が人生の折り返し点を少し過ぎたところと言えるが、感覚の上ではもう人生の3/4くらいまできているのかもしれない。
そう思うと、「残り少ない人生、やることやっておかねば」とあせったりしそうだが、まああんまり深く考えずに気楽にいったほうがいいんかな。
 
     
  「ベンチャー支援金」で1億円を獲得する方法
2006年10月30日(月)
 
  本を書くというのは本当に大変なことらしい。
自分のペースで時間をかけて書き上げて、完成したものを出版社に持ち込んだら本になる、というのなら楽かもしれない。
でも実際は、出版社との間に企画というものがあり、スケジュールが決められ、それに合わせて書き進めていかなければならないことの方が多いみたいだ。
章ごとに締め切りが決められたりするので、著者はそのプレッシャーと戦いながら、部屋にこもったり、時には徹夜をしたりして書き続けなければならない。

長屋バーのオープン以来の大常連で我が盟友の長屋もちこ氏もそんな苦労を重ねて、このたび本を出版することになった。
秀和システムから出版されるその本は「起業家必見!ベンチャー支援金で1億円を獲得する方法」というタイトルのビジネス書で、もちこ氏の「世界をおまたにかける凄腕女バイヤー」としてのビジネスノウハウを詰め込んだ渾身の一冊だ。
11月9日発売予定なので、興味のある方はぜひ本屋さんでチェックしてみてほしい。

実はこの長屋日記は、元々「もちこの長屋日記」というタイトルで、もちこ氏が書いていた。
彼女にとっての執筆活動や現在「長屋もちこ」という名前を使って行っているビジネスの原点が「長屋日記」なんよ、と彼女はいつも言う。
そんな彼女から先日FAXが届いた。
「書きづらかったビジネス書やったけど、やっとでけた! 長屋もちこを誕生させてくれたことに心から感謝します!」
と書いてある。
ようがんばったなぁ、おめでとう!
心から祝福したい。
もちこ氏には出版祝いに焼肉を奢ることになっている。
 
     
  ヒロシマ 2006年9月24日(日)  
  広島駅から路面電車に乗り原爆ドーム前で降りると、時刻は4時を少し過ぎたところだった。
広島平和記念資料館の閉館時間は6時なので、まだ何とか時間はある。
資料館に向かって平和記念公園を歩くと、あちらこちらで家族連れやカップルが楽しそうに遊んでおり、ストリート・ミュージシャンがギターを弾いて歌っている。
ここが60年前に14万人の命をを一瞬にして奪い街を廃墟に変えた原子爆弾の爆心地とはとても思えない平和でのどかな風景だが、横目に見る広島県産業奨励館の残骸(原爆ドーム)だけが当時の悲惨さを物語っている。

広島は日本人にとって特別な場所だ。
40数年も生きてきて広島を訪れたことがないというのは恥ずかしいことだと以前から思っていた。
昨年、小学生の息子が修学旅行で広島に行ったと聞き、益々その思いは強まり、何とか暇を見つけて広島へ、と思いながらもう1年もたってしまった。
広島に落とされた原爆のことは、いろいろな本で読んだり、その悲惨な光景を写真で見たりして、当然の知識として知っている。
でも実際にそのことが起こったその場所に立ってみないと、その知識というのは本物ではないと思うのだ。
だから今日はこうしてここへやってきた。

平和記念資料館で核に関する様々な資料や、廃墟と化した街の模型、熱風による全身火傷で苦しむ人々の写真を見て、原爆死没者追悼祈念館では被爆者の体験談を読み、慰霊碑の前で黙祷した後、平和記念公園を後にする。
帰りは広島市街の繁華街をぷらぷら歩いて広島駅へ向かったが、思ってた以上に賑やかな街で店もたくさんあり、たくさんの若者達が休日を楽しんでいた。
 
     
  ストーンズから消えた男 2006年9月11日(月)  
  久しぶりに映画を観る。
27才でこの世を去ったローリング・ストーンズの初期のリーダー、ブライアン・ジョーンズの死の真相をテーマにした「ブライアン・ジョーンズ・ストーンズから消えた男」という映画だ。

映画館で眠りグセがある僕なのだが、この映画はロックバーの店主としては絶対に眠らず最後まで観なければならない映画である。
ところが、当日朝にアクシデントが起きた。
夜中に来て朝方まで飲んでいた女性客が急性アル中で救急車で運ばれたのだ。
一緒に来ていた連れのお客さん達が先に帰っていたため、やむなく付き添って一緒に病院へ。
幸い大事には至らず女性客は点滴で回復したが、そんなこんなで家に帰ったのは朝の8時。
しかもその日はある人から昼食に招待されていた。
3時間程寝た後出かけ、昼食をごちそうになりビールを飲む。
午後3時頃、映画の時間まで少し寝ておこうと一旦家に帰るが、いつでもどこでも寝れるのが特技の僕が何故か眠れない。
結局は眠り率95%のまま映画館へ。
途中コンビニで「眠眠打破」を買って飲む。

さて映画の方だが、なかなか見ごたえがあった。
ブラーアン・ジョーンズの死因については事故説、自殺説、他殺説と諸説あり、今でも真相は謎とされている。
この映画では他殺説を主張しているが、その真相はともかく、ドラッグとアルコール、セックスに溺れたロックスターの破滅への過程が克明に描かれており興味深い。
ロックファン、ストーンズファンは必見である。
映画の面白さと「眠眠打破」の力で、最後まで眠らず観ることができてよかった。
 
     
  僕のバイト遍歴 2006年8月16日(木)  
  そういえば、以前マエちゃんが「私のバイト遍歴」というお題で日記を書きたいと言っていた。
彼女のことだから、いろんなユニークな仕事を経験してきたに違いない。
そんな今はなき(死んでないけど)マエちゃんの代わりに、決して負けてない(つもりの)僕のバイト遍歴を披露しよう。

1. ファミリーレストラン「ボネール」
高校3年の時、ここで僕は酒を覚えた。
午後11時の閉店時、社員は売上計算をするため事務所へ行くため、店ではバイト3人が閉店の後片付けをする。
ビア樽からジョッキ3杯くらいのビールを一気で盗み飲みするのが日課であった。

2. ガソリンスタンド「セントラル石油」
ここでは、人を騙して金儲けをすることを覚えた。
1本千円もするバッテリー強化液やラジエター強化液など不必要なものを口八丁で売りつける術を覚える。

3. 教材のセールス
やはり人を騙して金儲けするのは自分には無理と確認した。
1セット40万円の学習教材を売って、買主から感謝されたときにいたたまれなくなって辞める。

4. 遺跡発掘
遺跡発掘とは名ばかり。実は土方そのもの肉体労働。
発掘した土器などを割りまくる。

5. 日本橋電気街「丸善電気」
ワゴン車で配達に出ては昼寝三昧。
しかし店長が金を持って逃げたときは、社長とともに隠れ家へ襲撃し店長を拉致し拘束。
このときばかりは仕事した。

6. 居酒屋「与太郎亭」
ここでも店長が金持って逃げる。
社長がバイトのブス女と同棲した後、店はつぶれる。

7. 騒音調査
マンションの屋上にて日光浴をしながら、30分に1回くる電車の騒音を測る割りのいい仕事。でも、日焼けしすぎて肌がヒリヒリ痛む。

その他、薬品工場、ダンボール工場、スーパーマーケット、雪山のロッジなど、いろいろやりましたなぁ。
経験は力なり。
 
     
  ヘンコなバー 2006年8月9日(水)  
  僕はよくお客さんからヘンコだと言われる。
たぶん自分のこだわりをつらぬき通す人といういい意味で言って頂いていると思うので、そう言われるのは別にかまわないのだけど、実のところ自分ではそうヘンコだとは思っていない。
柔軟に人の意見を聞くし、妥協もする。
でも今日もまた言われてしまった。

時々来るある年配の男性客に、メニューに関する助言をいただいたので、
「ありがとうございます。考えてみます。」
と答えたところ、
「考える気もないくせに、そんなこと言うて。マスターへんこやから人の言うことなんか聞かんやろ。」
と言われてしまった。

確かに僕は、人から指図されたりするのが嫌いだ。
だからお客さんに何かを指摘されたときに一瞬イヤな顔をするんだろうか?
そう言えばこないだも常連のCHI坊から、
「マスターってお客さんに何か言われてカチンときた時すぐわかるなぁ」
と言われた。
そうなんかなぁ?
そりゃ僕もたまにはカチンと来ることあるけど・・・。

昔はヘンコだなどと言われたこともなかった。
どこへ行っても温厚、柔軟、素直で協調性のある典型的なA型人間、
そう言われていた。
店を始めてからだ、へんこレッテルを貼られたのは。
だからこう思う。
長屋バーという店が、いかにもヘンコな人間がやってそうなバーなので、その先入観から僕のことをヘンコだと思うのではないか、と。
うん、そうに違いない。
結論が出たので、この辺で。
 
     
  女子大生、癒しのマル秘部屋掃除 2006年7月31日(月)  
  2週間に一度、現役女子大生のMちゃんに家の掃除と洗濯のアルバイトに来てもらっている。
現役とつけると妙にいやらしい感じだけど、もちろんやましいことは何もない。
僕が長屋で働いている間に、家に入ってもらって掃除と洗濯をしてもらうのだ。

実をいうと僕は片付けや掃除が大変苦手だ。
店では仕事だと思うから割とキチンとしてるけど、家は相当やばい。
ちょっと油断をすると、すぐに家の中がゴミ捨て場と化してしまう。
ランチ営業をするようになってからは、とにかく時間がなくてますますひどい状態に陥っていた。
そんなわけで、今のマンションに引っ越したのを機会に、友達の娘さんのMちゃんにお掃除アルバイトをお願いすることにしたのだ。

お掃除アルバイトをお願いするようになって一番よかったことは、自分でマメに片付けをするようになったことだ。
女子大生のMちゃんが来ると思ったら、ちらかっている部屋を見られるのが恥ずかしいので、せっせと自分で片付けをしてしまう。
それならアルバイトなんかいらんやんか、と言われそうだが、そうもいかないのだ。

聞くところによると、ダスキンが同じようなお掃除派遣をしていて、これが一人暮らしの男たちに大変人気らしい。
部屋がきれいになるというのもさることながら、孤独な一人暮らしの男にとって、他人の気配を家の中に感じるということが、ものすごく癒しになるそうだ。
いやー、それわかるなぁ。
僕もMちゃんが来てくれた日に、ピカピカになった部屋に帰ってきて、
『お仕事おつかれさまでした』
と書いてあるメモを見るとき、じ〜んと癒されるもんなぁ・・・。
ううっ、さびし。
 
     
  AっP'S BLUES 2006年7月24日(月)  
  AっPちゃんは長屋の常連さんで、長屋バンドのギタリストでもある。
5月にライブをした時、彼はビジュアル的に一番カッコいいともっぱらの評判だった。

何でオレちゃうねん?
と、僕は思ったけど、NBさん(もうひとりのギタリスト)はもっと思ったみたいだ。
まあそんなことはどうでもいい。
ビジュアル面はさておき、確かにAっPちゃんはカッコいいギターを弾く。
ヴァン・ヘイレンばりのテレレレテレレレ系の弾き方や、アームを使ったビヨヨ〜ン系のソロが得意で、なかなかエキサイティングだ。
長屋バンドのサウンドに新風を吹かせてくれたことは間違いない。

そんなAっPちゃんだが、唯一の弱点と思われることがある。
それは長屋のコンセプトであるロックンロールとブルーズをほとんど知らないということだ。
ブルーズがなければ、この世にロックなんてものは存在していなかった。
だからロックバンドをやる以上、ブルースは避けて通れない、
・・・というのが僕の持論だ。
そんな訳で、ここのところ彼にブルースのCDなどを無理やり貸したりして、ブルース洗脳作戦を実行している。
AっPちゃんがブルース・フィーリングを身につけたら、ものすごいギタリストに成長するに違いないと思うからだ。
そうなると長屋バンドはめちゃくちゃカッコいいバンドになるはずなのだ。

AっPちゃんよ、ビジュアルを磨くのもよし。
そして、ブルーズも磨くのだ!
 
     
  2006年7月18日(火)昔ながらの長屋バー  
  長屋バーに戻って3ケ月が過ぎた。
人気者だったマエちゃんの後を受けてカウンターに立つというのは少しプレッシャーではあったけど、常連さんたちは相変わらず来てくれるし、昔から来てくれているお客さんたちからは、
「おっ、マスター久しぶりやん!」
と喜ばれたりして、ほんとに嬉しい。
やっぱり長屋はいい。

バーバーバーに来てくれているお客さんたちのことは気になるけど、G氏がうまく引き継いでくれて、そっちも心配なさそうだ。
今のところ、万事OK。

バーバーバーをやっていた2年間の間に、長屋周辺の環境は大きく変わった。
やたらと店が増えて、人も増えた。
商売をするには環境がよくなったと言えるけど、オープンの頃のひなびた裏路地という雰囲気はなくなってしまった。
でも今がピークだと思ってやっている。
そのうちまた落ち着く時がやってくると思う。
その時も何ら変わらない長屋バーでありたいものだ。

「KOZMIC 長屋バー」のKOZMICは、ジャニス・ジョプリンのアルバム「KOZMIC ブルースを歌う」から拝借した。
KOZMICというのはCOSMICをもじった造語で、ジャニスはたぶん、
宇宙的な → 普遍の → 伝統的な → いつまでも変わらない → 昔ながらの
という意味でとらえていたのだと思う。
だから「KOZMIC 長屋バー」も、いつまでも変わらない昔ながらの長屋バー、
ということなのです。